カテゴリ: 旧:仕事

祖母を送るまでの一連の出来事は、タイトルどおりのことを、あれこれと考えるきっかけとなりました。やっぱり、トップページで「どーん!」と書く話でもないので、この続きは「追記」にしています。

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去年よりは集中して、仕事するように努力しています。収入を減らさずに「土日祝日は仕事をしない日」にできればいいなあ、と思っています。でも、現在の生活パターンでこれを目指すのはちょっと難しいので、「土日のどちらかは仕事をしない」を目標にしています。


そういうことを意識して日々を過ごしているうちに、気づいたことがあります。


たとえば、今までは1日10単位の仕事を10時間かけてしていたとします。集中して1時間あたりの仕事量を倍にすると(2単位/時間)、5時間でその仕事は終わります。では、残り5時間でさらに10単位の仕事ができるかというと、もう頭が働かないのです。どんなに頑張っても、せいぜい12単位くらいでしょう。


15単位、20単位という作業量が可能になるのは、よっぽど締め切りが迫っているときくらいです。しかも私の経験からすると、その後数日はタマシイが抜けたようになってしまい、結果として、平均すると1日の仕事量は同じなのです。これも、次々と仕事が重なっているときは別ですが、精神衛生上いいものではありません。


作業の時間に関わらず、1日あたりの頭の処理量には限度があるようです。あくまで私の場合であって、そうではないという人もいるかもしれませんが……。


これまでダラダラと仕事をしていた時間がぽっかりと空いてしまうと、正直なところ不安になります。でも、思い切って頭を切り替えて別のことをして、翌日スッキリとした頭で仕事に取り組むほうがずっとよいと考え、これまではやる気になれなかったことをしています。


前回のエントリーを書いた後も、あれこれと考えていました。仕事が非常に忙しかったのと(実は今もそうなのですが)、自分の中にやはり迷いがあったので、Blogには書かないままでいました。


ですが、そのままでは思っただけで終わってしまうので、ここにも書いておこうと思います。


「自分がやりたいことをやって、ガッポリ儲かればhappy」という態度でいいのか、と思ったのです。実際は、とてもではありませんが、ガッポリ儲かってないのですけれど……。でも、収入の多寡以前に、考えなければならないことがあると感じるようになりました。


それは、将来に対しての責任です。自分たちが散らかし放題散らかして、刹那的・享楽的に過ごして、「じゃあ後は頼んだ」とばかりに、次の世代にツケの清算を押し付けていいのか、ということです。それでいいわけがありません。あれこれと考えているうちに、ささやかですが、自分のできることで、よりよい未来を作ることに貢献できれば、という思いが強くなりました。


スケールが大きすぎるので、「何を夢みたいなことを」と感じる人がいるかもしれません。でも、ひとりひとりが少しずつでも未来のために活動を始めたら、それが合わさると大きな流れになると思います。「自分ひとりでは変えられない」と言ってみんなが動かなかったら、何も変わりません。


ビジネスとして成立するか、という気持ちもあります。ビジネスというとなんだかかっこいい響きですが、要は「商売にできるか」です。つい最近ですが、こういう考えが浮かびました。


もしも、「よりよい未来を作る方法を知っている」とします。それに対して、「私はこれでお金を手に入れたいから、誰にも教えない」という態度は、正しいとは言えません。お金になるならないは二の次で、そういう情報を、より多くの人とシェアすることを考えるのが、正しい道すじなのではないでしょうか……。


などと語ってみたものの、自分の中ですっきりと整理されていて、明日からでもできます、というものになっていないのです。しかも、このエントリーでも、今まで、具体的に何がしたいかを書いていませんでした……。ここに書いておきます。


実は、子どもに国語を教えることに興味を持っています。私の経歴が経歴だけに、なんで英語じゃないんだ、と言われそうですが、外国語以前に、母語である日本語で、きちんと自分の意見や感じたことを表現したり、相手の意図を読み取ったりする訓練をするべきだと思うのです。


漠然とした不安や不満は、言葉で表現できないと(言葉にできない段階であれば、音楽や絵画など、芸術的な表現でもよいのですが)、破壊的な行動につながるのではないかな……と感じています。


そうやってあれこれと考えているうちに、コミュニケーションの基本、さらに言うと「他人と自分の考え方は違うものだよ、だからと言って対立するのではなく、受け入れよう」ということを教えたい、ということになるのかなあ、と思います。私がコミュニケーションの達人かというと、そういうこともないのですが。


まずは、こことは全然違うスペースで(死蔵状態になっていた独自ドメインが使えます!)、あれこれ考えていくところから、です。カタチになったら、ここからもリンクを貼ります。


不思議なことに、自分の中で、仕事に対する意識の変化が起きています。


「自分の得意なことをしよう」というのは前から思っていました。そしてさらに、「自分がやりたいことだけをしよう」とも思っていました。つまり、「自分が得意だと分かっていても、やる気にならないものはやらない」です。ですが、この1-2週間で、ふと頭に浮かんだことがあります。「やりたいことしかやらない、ではダメだ。将来のため、社会のためになることもしなければ」ということです。


たとえば、ですが、会社を経営するにあたって、利益の追求は当然のことだと思います。でも、ただひたすらに利益を追求する、それだけでいいのでしょうか。私のようなペーペー風情が偉そうに語れることではないですが、社会で得たものは、何らかの形で社会に還元すべきではないかと感じたのです。


そのための活動を開始しました、と言いたいところですが、今は非常にタイミングがよくないので、とりあえずこのアイディアを熟成させることにします。熟成させた結果、「やっぱりそういうのはもっと景気のいい人に任せよう」という結論になるかと言うと……そうはならない可能性のほうが高い気がします。


このBlogでも、いい加減仕事について書いてみようかなあ……と思いながら、自分が過去に書いた文章を見ていたら、なんだかまじめに書いた文章が出てきました。このままにしておくのはもったいないなあ、と思いました。だいぶ前に書いた、もうWeb上には存在しない(はずの)ものなので、再利用します。




「通勤に時間をかけないでいい」「自分のペースで仕事ができる」……このことに魅力を感じて、在宅での仕事がしたいと思う人も多いでしょう。在宅や自宅近くのオフィス(仕事場)での仕事なら、満員電車での長時間の通勤で、体力を無駄に消費することもありません。就業時間も決まっているわけではありません。体力の問題だけでなく、「人付き合いが苦手」「あまり他人と接したくない」という理由で在宅の仕事を希望する人もいます。グループでの作業もありますが、個人で仕事をしているのであれば、確かに他人からの干渉や不必要な接触もなく仕事ができます。


そういう意味では楽ですが、だからと言って「体力に自信がないから在宅での仕事を」と考えるのは大きな間違いです。当然在宅で仕事をしていても、体力を要求されます。自分の作業量を読み誤ったり、聞いていた話と違う仕事量だったり、どうしても断れない仕事が重なったりしてしまった場合、それでも納期は守らないといけません。となると、深夜までの作業、ときには徹夜での作業も覚悟しなければならないときがあります。その後仕事が来なければ休めますが、運良く(悪く)仕事が続くと休めません。


「そういうときは後から来る仕事を断ってしまえばいい」と思う人もいるでしょうが、駆け出しのうちはあまり選り好みをできないのが実情です。断りたくない相手や仕事内容のものが、後から来ることも十分考えられます。最初に仕事を引き受けたところに、「もっと重要な仕事が来ました」と言って断ることはできません。かと言ってあまりに手を広げすぎてしまって、逆に仕事の質を落とすようなことになってしまうと、自分に対する相手の評価が下がってしまいます。「じゃあどうすればいいんだ」というのは今でも悩むところですが、自分の能力にせよ相手の評価にせよ、仕事の選り好みができるレベルに達するまでは、肉体的にも精神的にも「自分の限界ギリギリの仕事をする」という時期が必要です。それを通過することで自分の力(単なる仕事の能力そのものだけでなく、ビジネスのセンスも含めて)も向上するし、自分にできること・できないことも分かるようになります。


失敗することがあっても、それをクヨクヨと悩んでいる時間はありません。次の仕事がありますし、しばらく音沙汰がない場合は得意先との連絡を取ってみなければなりません。失敗というのは確かに自分の評価を落とすことであり、プライドが傷つくこともあるでしょう。でも、いつまでも過去の失敗に固執していては駄目です。私が言いたいのは「失敗を気にするな」ということですが、これは決して「失敗を反省する必要はない」という意味ではありません。失敗は反省すべきです。この場合反省というのは、学校で書くような「反省文」ではなく、どうして失敗したか、この失敗を繰り返さないためにどうすればいいのか、考えてみるということです。それができたら、「失敗してしまった」と悩むのではなく、「失敗はしたけれど、そこから学ぶことがあった」と、前向きに考えることが大切です。報酬の減額などのリスクもありますが、命まで取られるわけではありません。確かに信用が落ちますが、それを「今の自分はこれだけ進歩した」という状態にもっていくエネルギーに変えましょう。いつまでも過去の失敗を気にしていたら、その後の仕事はできません。


さらに、「人付き合いが苦手」というのも、実はSOHOにとってマイナスに働く要素になると思います。「最初はとっつきにくいけれど、何回か会って話をするうちに印象がよくなる」人と「第一印象はいいけれど、その後の評価はあまり上昇しない」人を比べると、後者のほうがSOHOとしては有利でしょう。なぜかと言うと、仕事を依頼する側は、「何度か会ってお話をして、互いをよく理解してから……」ではなく、最初に送られてきた履歴書だけで決めることもあるし、履歴書だけではないにしても面接は一度だけで、その人に仕事を依頼するか否かを決めるからです。これは「人と接するのが好きでなければならない」という意味ではありません。人間嫌いを直せとか、嫌いな人間を好きになれとも言いません。でも、自分の仕事のためにも、「相手に対して好印象を与える努力」はするべきだということです。


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